以下は同志社大学渡辺教授が神戸地方裁判所洲本支部に一旦提出した意見書2ですが、早期結審を願い、原告側がその後取り下げたものです。プライバシー保護のため、同教授の住所は省略してあります。



 
平成九年(ワ)第七三号損害賠償請求等事件についての意見書 その二

神戸地方裁判所洲本文部御中

  一九九八年一○月二五目

   (住所省略)
   同志社大学教授(メディア学専攻) 渡辺 武達


先に本(一九九八)年六月一○日付けにて、私は標記事件についての意見書(以下、渡辺意見書その一)を提出いたしましたが、このほど私の意見書に対抗するかたちで、慶応大学教授・林紘一郎氏からの意見書(乙第三二号証、以下、林意見書)が出されました。
 しかし、この林意見書は以下にのべるように、現在の世界、および日本のメディア学界ならぴにメディアの現場の議論では通用しない矛盾多きものですし、そこには意図的な情報操作も含まれています。

それらを具体的に挙げれば以下のようになります。

第一 多チヤンネル化とメディアにおける意見の多様性保障について

チヤンネルが多くなれば、多様な意見がより表明できる(情報送信できる)機会が増え、意見多様性の保障の可能性がより大きくなります。この理由によって、規制緩和論を旗印にしたレーガン政権時代のFCC(アメリカ連邦通信委員会〉規定の議論では、いわゆる公正原則(フェアネス・ドクトリン)に字義通りにしたがうことはないということになり、その原則が撤廃されましたし、昨(一九九七)年度も、インターネットを含めた多チャンネル時代における国民の自由な意見表明を禁止するものとして、公序良俗という内容基準によって情報提供を差し止めようとする連邦制定法(「一九九六年/新通信品位法)が市民固体の提訴によってアメリカ最高裁で憲法修正第一条違反とされ、その結果、この法律は事実上廃止となりました。

 つまり、有線放送やインターネットなどは地上波テレピジョン(一般放送電波使用で衛星送信に依存しないものをいい、衛星利用のものを空中波テレピとよぴますが、林氏はこの区別を理解していない)と違い、チヤンネル数を多くもつことが物理的にも経済的にも比較的容易で、そのため、番組のコンテンツ(告知広告・CMもその一部)の多様性をより多く保障すべきだという考えに立った判決であります。

 したがって、今日の放送はデジタル化や通信との融合がすすみ(本事件の有線テレビ局もその一つの現象)、電波の公共性と希少性による多様な意見表明の制約というものをより少なくしているといえるわけで、本件のような有線放送局が住民の意見表明の場確保のための集会告知広告を中止することは、この理論からも世界の趨勢からいっても通用しないものであり、それを支持する林意見書の主張にも合理性はありません。しかも、私の「意見書その一」でものべているように、当該広告の内容は単純な告知広告であり、特定のイデオロギーに基づくものではありません。

よって、本件有線テレビジョン施設は多チヤンネル時代の象徴であり、それが事業展開の過程において、いかなる法律にも違反せず、とりわけ本件の直接係わる「五色町情報センター広告取扱要綱」にはまったく抵触しない内容で、かつその施設の設置日的のひとつである「町民生活を豊かにする」ための告知広告を制限することはどこからも出てこない論理だということになります。

くわえて、林意見書が参考文献としてあげた自らの執筆文書で、「再販制度」などに関連して「規制緩和」の立場からの自由論を展開されていることは、その主張が本件意見書における「町長権限による広告差し止め行為の是認」という陳述内容とは正反対であるという論理の不整合となっています。

第ニ メディア論と憲法間題について

上記のように、言論関連の事項が、アメリカにおいて憲法問題修正第一条 − 日本では憲法二十一条が直接関連 − として議論されるのは日米双方の司法界と学会の常識であり、林意見書がいたずらに「憲法論議に踏み込むべきではない」と主張するのはこうしたメデイア・コミュニケーションの分野の議論における世界的流れを無視し、意図的に誤った情報を伝えるものです。

 具体例でいえば、先述した「公正原則」や「1996/新通品位法」関連の議論のほかにも、現在のアメリカのメディア界で最大の話題となっているVチッブ問題(テレビ番組をコンテンツにしたがつて性と暴力とフアンタジーの三面からランキングし、それをテレビ内蔵の機器によって受信制限しようとするシステム)についてもそれがいえます。そうした制限方法について、アメリカの三大ネットワークの一つ、NBCは憲法修正第一条の「言論の自由」と「検間の禁止」条項に抵触するするものとして連邦法とそれに従えと勧告する攻府に抵抗しています。

第三「淡路五色有線テレビ」の公共性と公的側面について

本件有線テレビ局は、有線テレビジョン放送法に基づいて認可された、五色町の「公的な施設」であります。そのことは直接的には、五色町長が町営の有線テレピ局・淡路五色ケープルテレピの運営代表であり、その施設建設には税金等の公金が充てられ、それが五色町の直営であり、その番組制作と放映現場という有線テレビ放送事業行為にも役場職員が直接あたっている、そして加入者(加入金を支払って受信するもの)も五色町民に限定されていること、等から明白です。

 渡辺意見書その一でも述べましたが、本事件にかかわることは、こうした公的な施設における「公的な出来ごと」であり、被告もそうとらえて要綱等をさだめているからこそ、その規定文面等にも「町長」ということばをそのまま使っているわけです。つまり、本件訴訟にかかわる事件では、当該テレビ局の代表は町長その人であり、当該テレピ局は五色町の行政施策の一環として設置され、運営されており、林意見書のいうような、行政の長としての町長とテレピ局運営者としての町長が分離しているわけではありません。有線テレビジョン放送には、有線テレビジョン放送法による施設認可が必要だから別名を充てているだけで、当該局はその設立の経緯、現状からいって自治体としての五色町の組織の一部であることはこれまた明白です。

裁判長におかれましては、本件の審理を通して、現在の日本の、そして将来の日本と日本人のメディア環境がどうしたら主権者である国民の利益になるかについて、賢明なるご判断をいただきますよう、ここにお願いするものであります。

           以上