以下は平成11年2月25日に控訴人が大阪高等裁判所に提出した控訴理由書です。原告 代理人からいただいたコピーをOCR作成したものですので、 乱丁があるかもわかりませんので、そのつもりでご参照ください。


控訴理由書

控訴人  山口 薫
被控訴人  五色町
右代表者町長   砂尾 治 
 

右当事者間の平成十一年(ネ)第三六二号損害賠償等請求控訴事件ついて、控訴人は左記のとおり控訴の理由を陳述する。


一九九九年二月二五日

右控訴人訴訟代理人
弁護士 松山 秀樹
辰巳 裕規
宮崎 定邦

   


大阪高等裁判所

  第一民事部 御中


一、はじめに ー 原判決の論理構成の矛盾

、原判決は、本件広告放送契約は、「地方公共団体が行政の主体としてではなく、私人と対等の立場に立って、私人との間で締結したもので」「私法上の契約と見るのが相当である。」とし、憲法の直接適用を排除しながら、本件広告放送中止行為の違法性の判断においては、「本件広告放送中止は、」「行政の中立性に対する疑いをもたれないために行ったもので、合理性があり、違法性はな」いと判断した。

、しかし、本件放送契約が「行政の主体」とし締結したのではなく、「私人」と対等の立場で締結した「私法上の契約」と解されるならば、何故「行政の中立性」が問題とされるのであろうか。原判決は、本件広告放送契約を、私法上の契約と解することにより、憲法の直接適用を(あるいは憲法の人権規定の趣旨を違法性の判断において斟酌することすら)回避しつつ、債務不履行(「広告放送をする」という「債務」の不履行が存することは明らかである)ないし不法行為に基づく損害賠償請求権の成立要件の一つである「違法性」の判断においては、「行政の主体」ではなく「私人」であるはずの町に、「行政の中立性」という公的な価値、「私人」が保有することのありえない「価値」を与え、町(長)の中止行為に違法性はないとしている。これでは、一私人、一住民にすぎない控訴人は、町の行為に対し、憲法の庇護も受けられず、締結された契約の「町」の一方的な破棄に対し、「行政の中立性」の名の下で、一般民事上の責任追求もできないことになってしまう。原判決は、「私人と対等な立場」しての「町」(そのような事が有り得るのか疑問であるが)と「行政の中立性」が求められる「町」という二つのロジックをその場その場で用いて町を勝たせているが、この二つのロジックが相反するものであることは明らかである。原判決は、町(長)を勝たせるという結論が先に有り、そのために、町の立場を「公」「私」使い分けたものとしか言いようがない。

、本件は、控訴人が、有料広告放送専用チャンネルに、(現に町の施設で行われ、町長自身も出席している)集会の案内広告を申し込み、被控訴人がこれを許可し、現に放映が開始され数回住民の間に流れていた本件広告を、町長が、控訴人が広告主だから(被告代表者本人七〇ないし七七)という理由で中止させた事案である。論理構成面においては、様々な判断が有りえようが、中止行為が違法である(なお、債務不履行に基づく損害賠償請求権と構成する場合には、「債務不履行」は明らかであるから、「違法性がないこと」の主張・立証責任は被控訴人に存する)ことは明らかである。

以下、原判決の事実誤認ないし法律解釈の誤りを指摘する。


二、五色町情報センター広告放送取扱要綱に抵触するかについて

、原判決は、「被告は、広告放送をしない場合を定めた五色町情報センター広告放送要綱二条の名号のうち、六号(社会間題等についての意見広告)及び一二号(あたかも町が推奨していると思われる表現のもの)の規定の趣旨をも考慮に入れて総合的に同条一五号(その他放送することが不適当と町長が認めるもの)に該当すると判断した」と認定している。

ところで、本件広告放送契約を公法上の契約と見るべきか、私法上の契約と見るべきかについて、原判決は、私法上の契約と解しているが(具体的にいかなる契約類型か(準委任契約か請負契約か、あるいはそれに類する契約か)については、まったく明らかにされていない。)、いずれにしても、本件広告放送契約は、一度は成立し、被控訴人において一部履行されていたものであり、控訴人の意思に基づかないで一方的に放送を中止した被控訴人に「債務不履行」が存するのは明らかである。

 問題は、本件中止行為を正当化せしめる根拠が存するかである。そこで、本件広告放送契約における中止の根拠について具体的に検討してみる。

、まず、本件広告放送契約は、要綱の規定が存することを前提として締結されており、同要綱の規定に拘束される。もっとも、同要綱には、一度放送を許可した場合における、その放送の事後的な中止に関する規定を欠いているので、被控訴人の中止行為は明文の根拠を欠く行為であったと言える。

 そこで、同要綱から申上の根拠を導こうとする場合、やはり第二条各号に定める広告基準に該当するか判断せざるを得ないが(右判断の場合には、同条にうたわれている様に「町民サイドに立って」判断されなくてはならない。)、一度広告を許可したものを中止する場合には、一度は、町(現実には、第二条各号に該当するか判断を委ねられている五色町情報センター(甲二、被告本人六三))が、第二条各号に該当しないと判断した上で、広告放送を認め、契約を締結したものである以上、その判断は尊重されなければならないし、契約の拘束力が生じ、広告主に広告放送履行への信頼が生じている以上、中止の際の審査は、より厳格かつ適正に行われなければならない。

 ところで原判決は、「被告は、本件契約締結後、一旦、本件広告放送を行った」ことにつき、「これは担当者が、十分に本件広告放送の内容を検討しなかったため」と認定し、「この時点においては、町長は放送の内容はもとより、本件契約が締結されたこと自体を知らなかったものであり、その後、町長において前記のとおり判断して本件広告放送を停止したことが認められ(乙八、三〇、被告代表者)、一旦、広告放送を行ったことが債務不履行ないし不法行為の成否に影響を与えるものではない。」とする。

 しかし本件広告放送申し込みから受理までの経緯は、甲第一五号証に詳細に述べられている。

(1) まず、控訴人は、平成九年八月二六目午前一〇時頃五色町情報センターを訪れ、同月三十一日に予定している未来フォーラムの開催を、五色町のケーブルテレビで放送してくれるように依頼した。

(2) 鳩尾情報センター所長から無料の文字放送(十一チャンネル)と有料の広告放送(一チャンネル)の二つがあるとの説明を受け、当初、控訴人は、フォーラムの内容が町民が無料で参加できる講演会、学習会といった公の性格を持つものなので、ぜひ無料の文字放送チャンネルで放送してほしいと依頼した。すると無料放送の内容は町役場企画情報課が管理運営しているので、そちらに行って直接申し込むように言われたので、車で約一〇分ほどのところにある町役場に行った。

(3) 高田耕作企画情報課長に同様の趣旨を説明し放送を依頼したが、無料の文字放送は、役場関連の情報あるいは町が推奨する内容に限っているので、町民サイドのフォーラムの案内は出来ないと拒否された。しかし、この未来フォーラムの内容は、生活環境課の管轄になるのでそちらの課からあげてもらえば放送は可能だとの返事を得たので、生活環境課長に依頼したところ、確かに有益な企画では有るが生活環境課が企画した行事ではないので出来ないと拒否された。その旨を企画情報課長に告げたところ、「広告放送しかない」と言われた。この時、控訴人は町長室にいた町長に文字放送で放送できないかお願いしようとし、高田課長の了承を得て入室したが、町長は、いきなり「あなたとは話はしたくない。しかしフォーラムには参加する」と怒鳴ったので、控訴人は、文字放送について話すことなく退室している。

(4) 無料文字放送での放映をあきらめた控訴人は、情報センターに戻り、所長に役場での経緯を説明した。時刻は、午後一二時を少し回っていた。控訴人は、所長に、広告放送の原案(甲第二号証)を示したが、文量が多すぎるとの指摘を受け、その場で内容を削る作業をし、簡単な内容にしたものが本件広告放送画面である。

(5) 本件広告放送画面で、所長の了承はとれ、五日間にわたって放送するように依頼し、控訴人は五〇〇〇円を文払った。広告放送は、その日の夕方から始まった。

 この経緯を見れば、明らかな様に、本件広告放送の内容については、情報センター(所長)、企画情報課長、生活環境課長のいずれも要綱抵触について疑問の声をあげていないし、町の実務担当者達は、本件広告放送内容を検討する十分な時間的余裕を有していたといえる。現に、控訴人は、情報センター所長の文量が多いとの指摘を受け、内容を削る作業をその場で行った上で、本件広告放送内容に定まり、放送契約が締結されたのである。従って、担当者が、「十分に本件広告放送の内容を検討しなかった」とするのは明らかなる事実誤認である。他方、町長は、日常、広告放送の内容を吟味することはないのであり(被告代表者六三、一〇二)、要綱抵触有無の実質的な判断権は情報センターに全て委ねられていたと考えるべきであるから、同センターの判断こそ尊重されるべきであり、事後的に短絡的かつ独断で町長が恣意的に行った判断こそ「十分に本件広告放送の内容を検討しなかった」ものと認められるのである。

、そこで以下、本件広告放送の内容が、要綱第二条第六号、一二号、一五号に抵触するか吟味する。

〔一〕第六号(社会間題等についての意見広告)に抵触しない。

 本件広告放送画面は、集会への案内の告知であり、広告画面そのものは、なんらの意見を表明するものではないし、広告放送自体を用いて何らかの意見表明を視聴者に対し行っているものではないから、「意見広告」にはあたらない。また、未来フォーラム自体、建設残土搬入推進派・「反対派」を問わず全五色町民を対象に呼びかけられた学習会であるから、かかる集会への案内そのものは、「意見広告」に類するものでもない。

(二)第一二号(あたかも町が推奨していると思われる表現のもの)に抵触しない。

 そもそも、本件広告放送は、町が使用する無料文字放送チャンネルではなく、広く住民の広告に供される有料広告放送専用チャンネルで放映され、画面には「広告」の文字も有り、主催者の氏名・連絡先も表示されている。同チャンネルにおいては、通常は、商品や旅館の宣伝等が放映されている(被告代表者本人)のであるが、同広告を見た視聴者が、町が推奨する商品や旅館であるなどと誤解するはずはないと思われる。そのような広告専用チャンネルで本件広告画面が放送されたからと言って、視聴者が「町が推奨しているしとは思うはずはない。本件広告画面の内容そのものを見ても、「五色町が推奨している」と思われる表現は、どこにも含まれていない。

 従って、同号との抵触も問題とならない。

(三)第一五号(その他放送することが不適当と町長が認めるもの)に該当しない。

 第一五号は、放送しない広告内容の認定権限を町長の判断に委ねる体裁を採っているが、恣意的解釈を許す趣旨では毛頭なく、もとより要綱第二条一ないし一四号に各列挙された事由と同視できるようなやむを得ない事由に限定されるし、要綱第二条本文の趣旨、五色町情報センター施設の設置及び管理に関する条例の趣旨(甲第六号証)、上位法である有線テレビジョン放送法、放送法の趣旨、ひいては日本国憲法が国民に保障する表現の自由、住民自治の趣旨に沿った解釈がなされなければならない。広告申込者は、かかる適正な認定がなされることを前提に広告放送契約を締結しているのであり、町長の恣意的な判断に服することを甘受した上で契約を締結しているのでは決してない。

 そして、要綱第二条本文には、「広告放送にあたっては、放送としての品位を損なわないよう、一般社会常識にのっとり、町民サイドに立って放送の可否を決定する。」とあるが、本件放送は、品位に問題がないことは自明であるし、一般社会常識にのっとってみた場合、本件広告画面内容の放映がケーブルテレビでは流されないと判断すること自体が社会常識に反する。町民の知る権利を確保する上でも(特に本件のような集会の告知は、営利広告に比し、町民の知る権利として保護されるべき価値が高い)、本件広告放送を行った方が「町民サイド」に立った判断であると言えることは明白である。

 また、五色町情報センター施設の設置及び管理に関する条例第一条においては、「活力ある地域産業と健康増進施策を推進するため、生産と生活の多様化に応じた各種の情報を提供し、地域住民の連帯感を高揚するため」ケーブルテレビ施設を設置するとされ、第三条では、その業務として、「(2)生活、文化の向上に必要な情報の提供、(5)加入者相互の電話通信、(6)医療、福祉、健康分野の支援及び情報の提供などが揚げられており、本件広告放送は、住民の健康に密接に関わる建設残土の安全性に関する学習集会の案内であったのだから、むしろ町が積極的に呼びかけてもおかしくはない(むしろ施設の存在意義に沿う)内容であったと言え、本件広告放送を町が支援することはあっても、中止することは想定しにくい内容であったといえる。更に、有線テレビジョン法は、第一章総則で法の目的を「有線テレビジョン放送の受信者の利益を保護するとともに、有線テレビジョン放送の健全な発達をはかり、もって公共の福祉の増進に資すること」とし、かかる目的に沿う放映を行うからこそ、郵政大臣から許可を受けられる(第三条)のである。また、同法が第一七条で準用する放送法三条の二は、「政治的に公平であること」とする、いわゆる「公平原則」を掲げているが、本件広告は、建設残土搬入推進派・「反対派」を問わず、広く町民に呼ぴかけられた集会の案内であるから同原則にも抵触しない。むしろ、同法は、「意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を放送事業者に求めており、放送業者に求められる公平性は、放送しないことにより保たれる消極的な公平性ではなく、意見の対立が有れば、両意見を積極的に取り上げ、両者に意見表明の機会を平等に与えることにより作り上げられる積極的な公平性である。その観点からも、放送事業者の政治的公平性が、本件広告中止の理由とはなり得ないと言えるのである。最後に、憲法の定める表現の自由・住民自治についてであるが、憲法の人権規定が本件広告放送契約に直接適用されるか否かについては、後述するが、憲法の規定の趣旨は、全法秩序における最高の価値を有し、仮に私人間関係においても、私法の一般規定(本件では「違法性」)の判断において、その趣旨は十二分に斟酌されなければならない(いわゆる間接適用説)。まして、原判決の様に、対等な私人関係と解しながら、一方の町にだけ、「行政の中立性」なる公的な価値を付与し、他方の一住民にすぎない控訴人の表現の自由を全く無視することはあってはならない。そして、本件広告は、住民の生命・身体の安全に関わる建設残土の安全性についての学習集会という集会の自由に直結する保護すべき価値の高い、公的広告であるし、住民自治の観点からも、広く住民に知らされるのが望ましい広告である。住民の知る権利確保の観点からも、その流通は、遮断されることはあってはならず、本件広告放途中止が、憲法の趣旨に大いに反することは誰の目にも明白なのである。

 以上、述べた様に、町長のなした本件広告放送中止は、一五号が予定する町長の判断権限を著しく逸脱したものであり、同号を根拠に中止を行うことはできない。


三、中止手続の不公正性について

 本件広告放送中止は、町長の恣意的判断に基づき、控訴人に何ら反論・再検討の機会を与えることなく行われたものであり、手続きの不公正性も指摘できる。

 被控訴人らが、原審において引用する「原発バイバイ事件」においても、放送事業者側は、申込者に対し、表現内容について、修正を求め、「原発を考えよう」といったその趣旨を伝えうる修正案を示すなど、まったくコマーシャル放映を拒絶して申込者の表現を奪おうとしたものではなかった事実が認められている(乙第三三号証)。

 ところが、本件広告放送中止においては、全く控訴人に修正を求める動きはなく、突然、電話により放送を中止した旨の通知があっただけである。被控訴人において、控訴人の表現を可能な限り確保しようと配慮した気配すらない。

 かかる中止手続きの不公正性について原審は何ら認定していないが、「違法性」の判断を基礎付ける事実となる。


四、本件広告放送画面について

、原判決は、「本件広告放送の表題は、「黒い土」汚染問題を考える」というものであって、建設残土搬入について否定的な意味合いを有している」、「建設残土搬入についての反対論者であると見られていた原告が広告主(「問い合わせ先、五色・淡路未来フォーラム、代表 山口 薫」)であった」と認定する。なお、実際に放映されていた広告放送画面は乙第三八号証のとおりである。

、まず、「黒い土」という表現は、控訴人が五色町に移転してきた平成九年四月三日以前から、五色町などで使用されていた用語で、残土の色が黒いため、建設残土そのものが黒い土と呼ばれてきたにすぎず、この言葉自体は、なんら否定的な表現ではない(甲第一五号証、原告本人四、被告本人一一二)。問題は、「汚染」という言葉であろうが、確かに「汚染」という単語そのもの、あるいは例えば「黒い土は汚染されている。」という表題であれば、否定的なニュアンスを帯ぴてこようが、「汚染問題を考える」という文章全体を見る限り、視聴者に黒い土の安全性についての関心を呼ぶ効果があるに留まり、搬入反対を唱えているものという意味での否定的なニュアンスはない。汚染された残土の搬入の反対は、全町民共通のはずであり、まずは、汚染されているか否かに関する知識・情報を得て、学習しようとの全町民に共通して有益な学習集会の呼びかけであるから、残土搬入に否定的な表現とは言えない。残土搬入を推進してきた住民も汚染された残土搬入には反対であるし、反対派という集団が仮に存在するとしても、汚染された残土の搬入反対を言っているのであり、「汚染問題を考える。」という表現が、「汚染残土」の搬入に否定的なニュアンスを帯びていたとしても、「汚染されていない残土」の搬入にまで否定的な意味合いはまったく有していない。しかも、本件広告は、意見広告ではなく、「汚染問題を考える」という「集会があること」の告知広告であり、広告そのものが否定的なニュアンスを帯びるものではない。

、また、控訴人は、平成九年四月に五色町内に引っ越してきたばかりであり、五色町内において建設残土の安全性について問題意識が高まりつつあったことを知ったのは、その後のことである。しかも、控訴人は、大学教授としての職務に終われる日々を過ごし、海外から学者を招いて交流をしたり、自ら学会に出席するため海外に行くこともあり多忙であった。控訴人は、いわば五色町民の後追いの形で、建設既土の安全性に関心を持ち始め、もっと残土の安全性に関する知識を得たい、情報を知りたい、学習したいとの気持ちから、立ちあがったばかりの未来フォーラム(控訴人が代表者となったのも押しつけの形であった)の当面の課題として取り揚げたものである(甲第一五号証、原告本人二、二八)。控訴人は建設残土搬入反対論者ではなかった。

 もっとも、原判決は、「反対論者であると「見られていた」」ことを認定している。客観的に反対論者ではなくとも、そのように「見られていた」ことをもって不利益取り扱いを積極的に肯定するための間接事実にしているのであるが、そもそも町長が一住民の思想・信条にレッテルをはること自体許されないことは明白である。広告主が誰か、その人物がどういう思想を有しているかを放送中止の理由として考慮することは絶対に許されない。

、以上に述べたことに加え、本件広告は、一チャンネルという有料広告放送専用チャンネルで行われ、常に画面には「広告」のテロップが表示されていること、全画面においては、「日時」「場所」が目立ち、特に「場所」は五色町立の「五色町民センター」となっていることも総合的に考慮すると、本件広告放送画面は、何ら建設残土搬入に反対する表現内容のものではない。


五、五色町における建設残土搬入問題をめぐる状況について

、原判決は、五色町内では、「建設残土搬入問題が激化して、町内が混乱することを避ける必要があった」と認定する。

、確かに、五色町内には、建設残土搬入を要望し、その実現に向けて行動していた地区が存し、それに対し、次第に建設残土の安全性に問題意識を持つ住民が増えつつあったことは事実である。しかし、建設残土搬入を望む米山地区で土地改良組合が設立されたのは平成六年九月と古い。それに対し、建設残土の安全性に疑問を持っ声が出て、署名活動が行われたのは平成九年三月になってのことである。建設残土搬入を望む住民であっても、搬入される残土が、生命・身体の安全を害する残土であれば、これを望む者は誰もいないはずである(乙第二号証参照)。残土の搬入を推進してきた住民こそ、残土の安全性について確かな情報を得たいとの気持ちは強いはずである。原判決は、建設残土の安全性を問題とすること自体を「反対派」と決めつけているが、五色町の住民は、建設残土の安全性を考える前提としての情報をまずは取得し、その上で、安全であれば搬入に賛成し、人体に危険であれば搬入に反対するのであり、本件広告放送中止事件の時点では、建設残土の安全性についての前提となる情報を得たいとの気運は高まってきてはいたが、「反対派の動きが日増しに強くなってい」った事実は存しない。「日増しに」と評価できる証拠はまったく存在しない。また、「被告条例を制定し、建設残土搬入を厳しく制限しようという動きが出てきた」とするが、「厳しく」制限したとの評価についてはまったく根拠はないし、安全性確保のための要件を定めることは、住民共通の利益に資することであり、誰しも人体に悪影響のある残土の搬入については反対であろうから、条例制定の動きをもって「反対派」と決めつけるのはおかしい。右条例制定の動きの中で、住民に広く残土の安全性に関する情報が知れわたり、安全な残土が搬入されることは、むしろ残土搬入を推進する住民の利益ともなる。

、原判決は、平成九年三月に署名活動がなされ、条例制定の動きが出たこと、米山地区土地改良組合員が、平成八年三月から平成九年五月にかけて、建設残土搬入を禁止しないようにとの要請を直接町長に行ったことをもってか、「この間の推進派と反対派の動きは、いずれか一方が行動を起こすと、他方がこれに対する行動を起こすということを繰り返し、次第に激しいものになっていったこと」と認定するが、これを認定する根拠はまったく存在しない。原判決としては、可能な限り、五色町内に住民間の一触即発の対立状況が存したことを描いた上で、中止行為の正当性を導きたいようであるが、ここに現われるのは、安全性を確保するための基準作成の動きと、推進派が安全性の有無を間わずに残土搬入禁止をしてしまうことへの危惧から行った陳情行為だけであり、「一方が行動を起こすと、他方がこれに対する行動を起こす」「次第に激しいものになる」などと認めるのはあまりに大げさであり全くのフィクションにすぎない。前述のように、平成九年当時、五色町に高まってきたのは、建設残土の安全性に関する情報を取得したいとの気運であり、賛成派・反対派などと色分けできる事柄ではないし、その気運の高まりも緩やかであった。本件広告放送も、こうした五色町住民の建設残土の安全性についての情報を得たいとの住民の声に沿うものであり、本来町自体が進んで行うべき集会の案内なのであった。

、原判決は、「推進派の中には、搬入を中止すれば被告(町)に損害賠償請求の訴訟を提起するとして町長に激しく迫る者がいた」「反対派の中には、町長のリコールについて発言する者も出てき」たとする。しかし、いかなる損害賠償請求ができるのか不明であり、その現実性も疑わしい訴訟を仮に口ばしる住民が一部いたとしても、地方自治体が、そのような言葉に揺らがされるはずはないし、リコールについても同様である(なお、リコールは、町長という地方自治体の一機関の地位に関する問題であり、自治体(町)そのものの問題ではない)。なお、町に対する訴訟にしてもリコールにしても住民に認められた権利であり、その行使についての発言をすることも自由である。特にリコールに関する発言をしたことで(実際には、リコール運動として現実化していない)、町政に混乱がおこるとするのは民主主義.住民自治の理念からあまりに程遠い経験則の適用である。なお、控訴人自身は、大学教授として、リコールと言う制度があることを説明したにすぎない(原告本人)。

、この様に、原判決は、五色町内の残土搬入推進派・反対派の対立なるものを過大に描き揚げた上で、「町長としては、建設残土搬入問題が激化して、町内が混乱することを避ける必要があった」とする。しかし、再三述べたように、五色町の住民は、残土の安全性を知るための前提知識、残土に関する情報、安全性に関する情報を知りたいと考えていたのであるし、その結果、人体への悪影響のある残土であることが判明すれば搬入を中止しなければならないと考えていくのであり、その考えは推進派も含めて、町長も含めて共通である。五色町内で、高まっていたのは、建設残土の安全性について正しい情報を得たいとの気運であり、推進派・反対派なるものの対立では決してない。しかもその気運の高まりは激しいものではない。

 従って、五色町内が混乱することなど有えないし、これを避ける必要性はなかったのである(なお、本件広告放送は、実際に短時間ではあっても放映されているが、この放映された広告をめぐって住民間ないし住民と町に現実に紛争がおこったことは皆無である。唯一、紛争があったとすれば、町長自身が、本件広告放送を中止させたことだけである。)。町政の混乱のおそれは本件広告放送中止の理由とはなり得ない。


六、ホームステイ受入先拒否について

、原判決は、「被告が、原告に対し、ロシア共和国からのホームステイ先となることを断ったことも、前記広告放送の中止により、原告と町長との関係が緊張関係にあったことを考慮し、ホームステイを円滑に実施するためであった」とし、「違法」なものとは言えないとする。

、しかし、控訴人は、本件広告放送中止が決定する以前から、ホームステイ先となることが決定していたところ(甲第一四号証の二)、平成九年八月二六目午後六時一六分ころ、高田企画情報課長からの電話により、本件広告放送中止と同時に、突然、ホームステイも断るようにとの指示が町長からあった旨を告げられている(甲第一五号証)。原告と町長が、広告放送中止により緊張関係になるのは、中止した後のことであり、広告放送中止と同時に発するホームステイ拒否の決定の際に、緊張関係が生じていた訳がない。ホームステイ拒否を町長が決定した時点では、広告放送中止は未だ控訴人には通知されていないのである。従って、広告放送中止により町長と控訴人の間に緊張関係があったことを理由としたと認めることは出来ない。なお、被控訴人は、当初、本件ホームステイ拒否は、広告放送中止とは関係がないと主張していたことを付言しておく(被告準備書面〕)。

、更に翻って考えるに、そもそも控訴人と町長の間に、緊張関係なるものが仮に生じたとしても、町が公式行事として、一住民に依頼したホームステイ受け入れを撤回する理由となるとは到底思われない。緊張関係とは言っても所詮町長の一住民に対する個人的な感情の露呈にすぎず、かかる大人げない理由で、町の行事の取り決めを変更してしまうことが是認されるはずはない。私情を公に持ち込むことは許されないし、それを是認する原判決も理解しがたい。

、ホームステイ拒否は、本件広告放送中止と同時に、町長の恣意的判断により決定されたと認めるのが自然であるが、かかる事実は、広告放送中止の違法性を基礎付ける事実となると同時に、それ独自に不法行為を構成し損害賠償請求権を根拠付けることとなる。


七、淡路五色ケーブルテレビの公の施設性について

、原判決は、淡路五色ケーブルテレビの公の施設性について全く判断していない。同施設が、公の施設に該当するか否かは、地方自治法二四四条の適用の有無を判断する上で、必要不可欠である(これは、本件契約が公法契約か、私法契約か、憲法の直接適用を受けるか、否かとは次元を異にする)。

、被控訴人が営む「淡路五色ケーブルテレビ」事業は、「五色町情報センター施設の設置及ぴ管理に関する条例」に基づいて設置されたのであり、住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するために設けた施設であるから地方自治法二四四条に定める「公の施設」にあたるものであることは明らかである。

、公の施設の利用は、原則として当該施設の主体と利用者の合意によって成立するが、地方自治法二四四条により、利用者である住民は正当の理由のない限りその利用は拒否されないし、利用にあたり不当な差別的取扱いをされないのである。

 しかるに、本件広告放送中止には、地方自治法二四四条が規定する「正当の理由」はないし、主催者が控訴人だから中止したとのことであるから、「不当な差別的取扱い」にあたることは明白である。


八、憲法の直接適用について

、本件では、放送事業者が町営であることに特徴が存するが、原判決は、「地方公共団体が行政の主体としてではなく、私人と対等の立場に立って、私人との間で締結したもので、」「私法上の契約と見るのが相当である。」とした上で、「憲法の直接適用は受け」ないと判断する。しかし、原審自体、後に「行政の中立性」という行政の主体であるが故の価値を持ちだしていることからも明らかの様に、控訴人ケーブルテレビを、「私人と対等の立場に立っ」たものと判断することには無理がある。同ケーブルテレビは、住民の福祉を増進する目的で、条例に基づいて設置されているのであるし、その運営は住民の税金により賄われている。町長の関与も多い。同ケーブルテレビは、町の行政施策の一貫として運営されていることは明らかであるから、その運営、本件では、一住民との利用契約については憲法に直接拘束され、憲法の直接適用を受けるものと解すべきである。

、そして、本件中止行為は、控訴人が、広告放送契約を締結し既に放映が開始されることにより獲得し、実現していた表現行為を、町長が一方的に中断させたという事案であり、まさしく表現の自由の制限行為である。そして、表現内容に着目しての規制については、「明白かつ現在の危険」がなければ許されないところ、本件広告放送によってしても、五色町に町政混乱が生じる具体的な危険性は勿論、抽象的な危険性すら無かったと認められるから、本件中止行為は違憲である。

、なお、原判決の様に、本件広告放送契約を、私法上の契約と解するとしても、「違法性」の判断においては、憲法・放送法の趣旨から放送機関としての被控訴人の中止行為が許されないことを主張する。これは、憲法の定める人権規定(及びそれを実現する放送法の趣旨)は、公法私法を問わず全集定法秩序の最高の価値であり、公法・私法を包括した全法秩序の基本原則であって、すべての法領域に妥当すべきものであるから、仮に全くの「私人」による人権侵害に対しても、「違法性の要件」という私法の一般条項の判断において、憲法の趣旨を取り込んで解釈適用すべきだからである(いわゆる間接適用説)。

 しかるに、原判決は、私人と対等とする町に「行政の中立性」などという私人が保有し得ない価値を与えながら、控訴人が享有する「表現の自由権」「思想・信条の自由」「平等権」については、全く配慮しておらず、不当である。また、住民の知る権利が失われたことへの配慮も全くない。


九、損害について

損害については、既に原審での原告の主張のとおりである。


十、まとめ

以上、原判決の事実誤認・法律解釈の誤りを指摘した上で、控訴人の主張を再度整理し、締めくくる。

、本件中止行為は、法的な根拠を欠き、違法である。

 控訴人.被控訴人間の契約は、要綱・条例の趣旨さらには有線テレビジョン法・放送法(ひいては憲法)の趣旨に沿った放送事業を被控訴人が行うことを前提とした契約であるところ、本件中止行為は、その趣旨に反するものであり契約上許されない。

、本件中止行為は、恣意的・差別的判断に基づくものであり、違法である。本件広告放送により、行政の中立性を揺るがされることは全くないし、町政混乱のおそれも全くなく、違法性を阻却する事由は存しない。中止手続きの不公正性も違法性を基礎付ける。

、本件ケーブルテレビは、公の施設に該当するところ、被控訴人は、地方自治法二四四条に反し、控訴人の利用を拒んだものである。

、本件中止行為は、端的に憲法に違反する。少なくとも、憲法の趣旨に反し、違法との判断は免れ得ない。


                                    以上