以下は平成11年6月2日に被控訴人が大阪高等裁判所に提出した、控訴理由書に対する反論の準備書面(二)です。控訴人 代理人からいただいたコピーをOCR作成したものですので、 乱丁があるかもわかりませんので、そのつもりでご参照ください。




平成十一年(ネ)第三六二号 損害賠償等請求控訴事件

           控訴人 山 口 薫
           被控訴人 五色町

   平成十一年六月二日
        被控訴人訟代理人
         弁護士 道上 明
         弁護士 伊藤 信二


大阪高等裁判所 第一民事部一係 御中

準備書面(二)


一「はじめにー原判決の論理構成の矛盾」に対する反論
 
1 椌訴人は、原判決が本件放送契約を私法上の契約であると認定した点(以下「論点A」という。)と、行政の中立性等を理由に本件広告放送の中止を正当であるとした点(以下「論点B」という。)には論理的な矛盾があると主張する。しかし、右の主張は正確な理解に基づくものではない。

2 論点Aは、本件広告放送中止の問題につき、直接憲法の適用があるかどうかを判断するための議論であって、原判決としても本件契約が私法契約と全く同じであるとまで判示したものではないと考えられる。すなわち、ここで用いられている私法契約という概念は、本件契約をめぐる問題点を解決するために適用される規範が憲法ではなく、民法であるということを説明するための法技術的な説明にすぎないのである。したがって、「私法」や「行政」という言葉だけをそのまま促えて、論点Aと論点Bの判断に対する論理的矛盾を指摘することには意味がないし、原判決に控訴人の主張するような矛盾はないものと考える。

二「五色町…広告放送取扱要綱に抵触するかについて」の反論

1 第1項について
 控訴人は、ここでも原判決が本件契約を私法上の契約であると認定したことに触れ、これがいかなる契約類型であるか明らかにされていないことを指摘する。しかし、前記の理由からして、本件契約がどの契約類型に該当するかなどは全く問題とならないものである。繰リ返しになるが、論点Aでは、本件の結論に至る判断過程に憲法が適用されるかどうかが明らかにされれば足リるからである。
 
2 第2項について
 控訴人は、五色町情報センター広告放送取扱要綱は、放送の事後的な中止に関する規定を欠いていると主張する。しかし、同要綱第二条の規定は「放送をしない」となっており、ここには放送中止も含まれると理解できるから、控訴人の右主張は正当でない。もっとも、同人は、本件広告放送の中止についても同条名号に定める広告基準に該当するかどうかを検討すべきとしているので、この問題自体は重要でない。
 
3 第3項について
(一)控訴人は、本件広告の内容が広告放送取扱要綱二条の六号や一二号に抵触するものでないと主張するが、被控訴人と.しても本件広告の内容が右の名号に抵触するなどと主張するものではない。被控訴人は一五号の「その他放送することが不適当と町長が認めるもの」という規定内容は抽象的であるから、この解釈にあたっては、六号や一二号の規定内容も考慮に入れるべきであると主張するものである。そして、本件広告の内容が、建設残土搬入問題という「社会問題」に関するものであり(六号との類似性)、反対派の立場を「あたかも町が推奨していると思われる」おそれも多分にあったこと(一二号との類似性)については、被控訴人が原審で繰リ返し述ぺたとおリである。


(二)そこで、問題は、本件広告の内容が広告放送取扱要綱二条の一五号に反するかどうかであるが、被控訴人はまさに「放送することが不適当と町長が認めた」本件放送を中止したものであるから、まず形式的面において一五号への抵触は認められない。また、一五号の解釈適用にあたっては、被控訴人としても控訴人と同じく、一号ないし一四号に列挙された事由と同視できるような事情があるかどうかを基準にすべきであると考えるが、本件広告放送と六号や一二号で中止される放送とに強い類似性が認められることは右の(一)で述べたとおリであるから、被控訴人の行為は実質的にも一五号に抵触するものではない。


(三)控訴人は、右に関して、広告放送取扱要綱二条本文の規定についても触れている。ここには放送の品位を保持すべきことと、一般社会常識・町民サイドから放送の可否を決すべきことが規定ささているが、本文のこの部分は要綱の運用指針をうたったものにすぎないといえるから、法的な効力(少なくとも裁判規範としての効力)まで認められるものではない。そのため、この点について検討を加えることは本来無意味であるが、控訴人が説く「町民サイド」という点について若干の反論を行う。控訴人は「町民サイド」ということを専ら表現の自由の観点だけから捉えているが、そのような理解は狭きに失する。「町民サイド」は、よリ広い町民の利益も含めて考えられるべきであリ、本件広告放送が実施されることによる町政や町民の混乱を防ぐことも「町民サイド」の利益として考慮の対象とされることは当然というべきである。
 また、本件広告放送を放映した結果、建設残土搬入が中止されることになれば、被控訴人は住民の一部から損害賠償請求訴訟を提起される可能性も高かった。この請求が正当なものであれば、被控訴人としてはこれに応じるほかないが、請求が正当かどうかの判断が微妙な場合の訴訟費用等も含めて、結局は町民の負担となるものであるから、「町民サイド」という場合にはこのような視点からの検討も忘れられてはならないというぺきである。


(四)控訴人は、さらに五色町情報センタi施設の設置及び管理に関する条例の一条及ぴ三条の規定にも触れている。しかし、これらもケーブルテレビの設置目的ないし五色町情報センターの業務内容につき一般的に規定するものであって、裁判規範性をもつものではない。なお、控訴人は、本件フォーラムの性格を「建設残土の安全性に関する学習集会」として中立的な色彩を強調するが、事実はそうではない。本件フォーラムに先だって声がかけられたのは反対派の人だけであったし(原告本人四二)、7オーラム参加者も当然に反対派の人が多く、建設残土搬入間題についての反対集会の性格を強くもっていたものである。


(五)控訴人は、これらのほか有線テレビジョン法第一章及ぴ同法が準用する放送法三条の二についても触れている。しかし、有線テレビジョン法第一章総則は、同法の目的を抽象的に規程しているにすぎないから、前記と同じく裁判規範としての効力まで認められるものではない。
 また、同法が準用する放送法三条の二については、近時、憲法上の問題が指摘されている。すなわち、同条に定めのある「公平原則」が法的制裁を伴うものであれば、放送事業者に対し、放送の実施(実施と不実施)や放送の内容について萎縮効果を与えるおそれがあるから、放送事業者の表現の自由の観点からして問題であるとの指摘である(有線テレビジョン法二五条二項には現に制裁規程がある)。「公平原則」の根拠としては、従来から電波の有限性があげられてきたが、今日の情報通信技術からすると電波やチャンネルの有限性は理由にならないとする見解が次第に有力となっている(樋口=佐藤=中村=浦都・注釈日本国憲法上巻五〇〇頁〜五〇二夏。なお、同書は現在、注解法律学全集2憲法〔青林書院〕として版を新たに刊行されている)。
 このような憲法分野からの指摘と並んで、メディア法の分野においても、最近では「公平原則」を見直すべきであるとの主張も見られていることは、林教授の意見書(乙三二)のとおりである。ちなみに、アメリカでは時代に合わなくなったという理由から、いち早く一九八七年に「公平原則」が廃止されるに至っている。控訴人は、おそらくこれらの問題点について意識しないまま「公平原則」を正面から持ち出しているのであろうが、このような論法は多くの問題を抱えるものであって、適切でないと評さざるを得ない。

三『中止手続の不公正性について」に対する反論

 控訴人は、本件広告放送中止は反論・再検討の機会を与えることなく行われたものであり、手続に不公正があったと指摘する。しかし、手続の公正はすべての行政手続に要求されるものでなく、「実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続」に限って必要とされるものである(最高裁昭和四七年一一月二二日判決)。そうすると、本件放送中止行為が右のような作用をもつものでないことは明らかであるから、本件で手続の公正は法的な問題となリえない。反論・再検討の機会を設けた方が控訴人に対し親切であったとはいえるであろうが、被控訴人はこれを法的な義務として負うむのではないのである。

四「淡路五色ケーブルテレビの公の施設性について」への反論

 控訴人は、本件ケーブルテレビが地方自治法上の「公の施設」にあてはまると主張するが、その先の論旨は全く無意味である。なぜなら、仮に本件ケープルテレビが「公の施設」に該当するとしても、問題はケーブルテレビの利用拒否に「正当な理由」があったかどうかにあリ、この点の議論の中身は町長の裁量権論と全く同じものになるはずだからである。そして、本件で「正当の理由」が認められること、つまリ町長に裁量権の逸脱がなかったことについては、被控訴人がすでに繰リ返し述ぺたとおリである。また、控訴人は「不当な差別的取扱い」についても主張するが、町長としては控訴人が申し込んだ広告放送だけでなく、他の反対派の人から同様の申込みがあった場合や、推進派からの申込みがあった場合にも、これらの申込みを断っていたはずであるから、控訴人に対して特に差別的な扱いをした訳ではない。
 
五「憲法の直接適用について」に対する反論

1 控訴人は、本件契約に憲法の適用があると主張するが、これは原審の準備書面(一)、(三)で引用した最高裁昭和五九年一二月一三日判決、最高裁平成元年六月二〇日判決に明らかに反する無理な主張である。控訴人は、本件ケーブルテレビの設置が条例に基づいていることや、住民の税金によって賄われていること等に着目しているが、これらの点は昭和五九判決で問題となった公営住宅でも事情は同じである。本来着目されるべきは、本件ケーブルテレビの事業内容であるが、特に本件の一チャンネル放送は民間の放送会社の事業と何ら変わるところがない。このような放送に関して憲法を適用しようとするのは、自由の総体量を減少させてしまう危険がある。したがって、本件契約は、私法契約つまリ憲法の適用がない契約てあり、本件に合憲性判定基準である「明白かつ現在の危険」の基準を適用することは理論的に無理である。

2 次いで、控訴人は、憲法の間接適用論についてふれている。被控訴人としては、この理論自体を争うものでは勿論ないが、間接適用の結果、被控訴人の行為に違法性が認められるとの結論については争う。本件の問題点の核心は、町長の裁量権の範囲の判断基準いかんにあると考えるが、これについては原発バイバイCM事件におけるように「権利の濫用にわたらない限り、放送事業者の自主的判断が尊重される」という基準、被控訴人の表現でいえば「特段の事情がない眼リ、裁量権行使が違法であるとは認められない」という基準にもとづいて判断がなされるべきである。

六 控訴人の証人申請に対する意見

 控訴人は、斎藤貢氏の証人申請を行っているが、被控訴人はこれにつき予想される証言と争点との間に関連性がなく、かつ、証人としての適切さを欠くものであるとの意見を述べる。同氏は本件広告放送の中止に全く関与していない者であるし、同氏は平成七年の五色町長選挙で現町長と選挙戦をたたかった相手候補を自らの後継者と指名した者てあり、公正な証言を期待できないからである。